一歩の積み重ねが

前に一歩また一歩と、歩いている人の後ろ姿を見ながら電くるに乗って道を行くんですが、電くるの方が速くて追い抜かす人もいるけど、オレが止まったら、先を歩いている人はドンドン・ドンドンオレから離れてだんだん遠くへ行ってしまう。どんなに遅い人でもそれは同じ。
 一歩を出すのをやめたら、止まってしまうが、一歩ってすごいなぁって思う。

はたまた事件は起こった!

今度の現場はまた駅なのだが、駅に上がる外っかわのエレベーター付近だ。
 電車に乗って帰ろうと駅のエレベーターを目指していた。
 すると、エレベーター付近に柵が立てられ、点検中だということが分かった。
前にもあったことで、点検をやってる人に声をかけたら、その時だけ点検作業を中断してオレを乗せて動かしてくれたし、今回もそうしようと思った。
 しかし、その柵の前に駐輪場の管理をしているおじさんが立っていたのだ。
このおじさんは時々その辺りに立っているので、あいさつくらいはしていたのだが、そのおじさんがオレがエレベーターの近くに行くまでに気をまわして点検の兄ちゃんに声をかけてくれたのだ。
 だがだがだがだ!!!!
 その声のかけ方が意外だった。
「おい!車椅子に乗った子が来やるで〜!何とかしたってくれへんか?」というものだったのだ!
 オレはもういい年で今年は55歳にもなっているのに、「車椅子に乗った子」と言われたのだ!そして点検の兄ちゃんと直接しゃべりたかったが、親切心からだと思うが、間に入ってしまったのだ!
 そして15分待ってくれと言う話になり、5分後に乗る予定だった電車をあきらめ、すぐ近くのコンビニに入り、用を済ませ、戻ってヘルパーさんや家に遅れる電話をかけている最中に、またそのおじさんが近寄って来て「電話しとき、電話しとき。家の人が心配しはるわ!」とオレが既に電話をかけている最中に、大人が子供に言うような態度で言うのだ。
 そのおじさんは70前後だと思うが、子呼ばわりと子ども扱いはないだろうと思いながら、その場はやり過ごした。
 しかし、駅というのは人通りが多く、このおじさんのオレに対する対応を見て、「障害者にはこういう対応でいいんだ」と変な連鎖が生まれなくもないなと思い、後からその駐輪場を管理しているところを調べ、電話でこういった出来事があったといい、そのおじさんに注意するのではなく、社内全体的にこういった事が無いように言ってほしいと苦情を言っておいた。
 オレら障害者が声を出し、言わなければ、障害のない人は気づかないことは多いと思う。身近なところから変えていこう!

またもや駅で

あれは県の集団指導の日だった。
3月23日。去年も同じことが起こり、確かここに書いている。
栗東駅のホームのエスカレーターに乗るのに、同じ電車から降りた他の2本足で歩く客が、ホームから先に居なくなるのを待ってから、黙って後ろにいた駅員が、やっとエスカレーターを車椅子仕様に切り替える操作を始めるのだ。
またまた「すみませんが、他の客が全員エスカレーターでホームから上がるまで待っていただけますか?とか声もかけんと、乗客と思てるのか?」「何で歩けるのに階段行ってもらわんのか?」「歩ける者が優先で、車椅子に乗った障害者は待たせて当然って思てるやろ!」とその駅員に抗議してみた。一応謝ったと思う。
けど、今後、この駅で降りる度にこんなことをするのはかなわんと思い、帰りに草津駅に寄り、正式に「苦情」という形で駅長を呼び出し、栗東駅での出来事を伝え、今後こんなことが無いようにと言って帰ってきた。
しかし、その駅長と思しき駅員もどういう対応をするのか、名前と連絡先まで言ったのに、その後何もなかったので、JR西日本のほうに直接電話をしてみた。
今回こういうことをして分かったのだが、小さな駅とかの駅員はJRの社員ではなく、別の委託会社の人だったことだが、それはさておき、甲西駅の駅員(だったと思う)から電話があり、謝罪と今後の対応を栗東駅の職員と話し合っておくという言葉をもらった。
今度栗東駅で降りるのが楽しみだ!

もう年が明けてしまった。

 読んでもらってる皆さん、あけましておめでとうございます!
 年末に、年内にはアップしようと下書きで途中にしてあった文を明けて出すことになってしまった。
ということで、昨年もいろいろなことがあった。
 前回の日付を見ると7月28日となっている。この2日前に相模原市のあの大量虐殺事件が起こっている。まだ感情と事件の様子が理解できずにいた頃だったと思う。
 そしてこの日の昼に、近しい人が亡くなったという報告をもらった。そして7月29日にはこれまた近しいまちプロのメンバーが亡くなっっている。
近しい人の命が去って行ったり、大量の障害者の命が奪われたりといった事が経て続きに起こった。近しい人が亡くなったのは悲しいが、仕方がない。いつかは消えるものだ。しかし、相模原の施設内で起こされた大量殺人は「仕方がない」では済まされない事件だ。
 あれから時間が過ぎて行く中で、徐々に相模原の虐殺事件の事実が明らかになっていき、オレもいろいろと考え、感じて文書化もした。
 年が明けた今、改めて、あの忌まわしい事件について、感じるところ、考えるところを書いてみたい。くしくも今日は2日で書き初めの日だ。
 年末に今年の出来事として世間ではいろいろな出来事を出していたが、相模原の事件は無かったかのようにどこにも取り上げていないように思う。
 オレの中では昨年の一番大きな出来事はやはり相模原事件だ。
 この事件がまずは神奈川県内で起きたという事実にオレは深いモノを感じている。
 神奈川県と言えば70年初頭に障害を持った子が実の母に殺され、それについての住民の減刑嘆願運動に抗すべく神奈川青い芝の会が脳性マヒ者としての立場で、殺される側の立場で初めて世間に声を上げた地だ。その後には川崎駅で車いすの障害者のバスの乗車拒否があり、俗に言いう「バスジャック」という事件が起き、その後の運動の結果として、全国に先駆けて駅のエレベーターやリフトバスの導入がやられていた地だったのだ。
 青い芝が全国に広がるきっかけを作った地なのだ。
 その地であんな凄惨な事件が起きようとは!・・・
 改めて青い芝の会の行動綱領が頭をよぎる。
 全部で4・5個あるのだが、その中の一つ、「我々は脳性マヒ者として自覚する」。これは、社会の中にあっては、殺される立場であることを自覚するという意味だ。そして、一つ、「我々は強烈な自己主張を行う」。これは、殺される側からの叫びを殺す側の者に伝えるということ。我々を殺すような社会のどこがいい!と。そして、一つ、「我々は問題解決の路を選ばない」。安易な妥協は許さないという意味。
 そしてまた一つ、「我々は愛と正義を否定する」だ。正に今回の容疑者が言っていると報道された「正義」の名の下に障害者は殺されたのだ。しかも愛と正義の障害者収容施設の中でだ。そして最後に(これは全国青い芝の会の行動綱領に後で付け加わったのだが)「我々は健全者文明を否定する」というもの。
 人の命の価値を能力や見てくれでのみ判断する、力の文明である「健全者文明」を、オレら障害者を人間扱いしてこなかった「健全者文明」を、楽ばかりを追い求める「健全者文明」を、力のない、逃げられない、殺される立場から否定するということなのだ。
 だからこそ、このオレらを無視しきり声を聞くことさえしなかった健全者のみで作り上げてきたこの社会を変えようと、今まで活動してきたのだが。
 最近はオレは幻想を見てきたのかもしれないと思う。一見障害者を取り巻く情勢は良くなってきたという。
 本当に厳しく、オレ自身が問われていると思う。

またまた駅で・・・ つづきのつづき

 ここ2連チャンで、駅での車イスに乗った乗客(オレ)への駅員の不自然な(おかしな・変な・尋常でない)対応をされた事を書いてきた。
 もう最後にするので、まとめということになる。
 まず、1件目の出来事は、JR側のミスが原因で起こった事(車掌が車イスに乗った乗客に声をかけ、その電車に乗せて、駅員には何も連絡しなかった事)をあたかも車イスの乗客が問題だというような結論に結び付けたことが、オレは問題だと思う。それともう一点、「車イスに乗った客」という一辺倒な観方の問題もある。
 2件目のケースについても上に書いた一辺倒な観方という問題もあるが、あまりにも意識過剰で「車イスに乗った客はホームから落ちる可能性が非常に高く、一瞬たりとも目を離してはならない」といった「偏見」といっても過言ではないものを強く感じた。
 ホームで電車を待っている時に最近よく聞くアナウンスに「歩きながらのスマホは危険ですからしないように」とか、ポスターでは「酔っ払いがホームから落ちそうになっている」ものがあり、どちらも注意を促すものだが、その程度なのだ。
 それはそうだろう!いちいち駅員がついて歩くわけにはいかないし、そんなことをしていたら何人いても駅員の数も足りないし、ストーカー行為で訴えられかねないかな?そこまではいかなくともプライバシーの侵害だと言われそうだ。
 で、オレは前向きに考えた。
 車イスに乗った客には「ホーム上ではブレーキのかかった状態で電車を待っていて下さい」と改札を抜ける時に声をかける、と、この程度でいいのではないか。
 それから、「車イスに乗った客」という一辺倒な観方を止め、「たまたま車イスに乗っている客」というふうに、車イスに乗った客にも色んな人間がいるのだという受け止め方をしてもらいたいものだ。
 最後に、本当にホームは誰にとっても危険なところはあると思う。ならその対策を即時実行する事が大事なのではないか!ホームに柵を設置するとか、車イス障害者を特別視するのではなく、万人のための安全対策を!

またまた駅で・・・つづき

次に2件目だ。
 仕事で湖北の米原駅の向こうに行く道中の出来事だ。
 米原駅北陸線に乗り換えるため、南彦根駅から連絡を受けた駅員がスロープを持ってオレを迎えてくれた。・・・と、ここまでは良かったのだが。
 ホームに降り立つと(立てないが^^)駅員が「次の電車まで時間がありますので待合室で待っていて下さい。ご案内しますので。」と言ってきた。何分くらいだと聞くと、確か10分程度だったと記憶している。オレは10分程度ならわざわざ待合室まで行かなくても普通にホーム(降り立った場所付近)で待っていようと思い、そう駅員に告げた。駅員のとる行動が普通なら、「あ〜そうですか」と一旦ホームからは去り、オレが乗る予定の電車の時間が近づいて来たらまたスロープを持って来るというものが容易に想像できた。
 しか〜し、違ったのだ。なんと待合室で待つように客に強要してくるではないか!どこで待とうと客の勝手ではないか!そう思いそう言うとまたもや強要してくる。やりたくはないが仕方ないと思い、大きな声でイカリをあらわにその思いを叫んだのだった。で、駅員は「分かりました。では私もここに居ます」と客を監視するような行動をとると言ってきたのだ。これには余計に腹が立ち、「オレは何かしたのか〜!なんでやねん!!!」と怒鳴りちらした。駅員は「危ないので」という理由を言ってきた。これを受けて「なんで危ないねん!!」どこが危ないねん!!」と言うと、ホームが傾斜しているのでというようなことを言ってきた。「そんなモン分かっとるわい!!」と、こういう会話が続いたのだった。
 で、何があったかを道中(帰りも含めて)駅員に聞いていくと、電動車イスに乗った客が、どこかの湖北の駅で電車をホームで待っている時にカバンか何かがハンドルのスティックに引っかかり電源も入っていたのだろうが、動いてしまい、危なくホームから落ちそうになったということがあったそうだ。
 この出来事で「電動車イスはあぶない」「ホームに一人で待たすな」ということになったのだ!
 まったくJRは過剰反応もいいとこだ!前にも書いたが、酔っ払いとか歩きながらのスマホイジリとかの方が、実際ホームから転落するケースが圧倒的に多いはずだ。
 なのになぜ?車イスだけをターゲットにするような過剰反応をするのか?…またつづく。

またまた駅で

この間2件ほど駅での駅員の対応をめぐってのトラブルがあった。
 1件目は、いつものように朝改札を抜け、エレベーターでホームに降りる前に駅員に声をかけた。その日は土曜日だったので車両が長い休日ダイヤの車両編成なのだ。だからいつもの場所からではなく、エレベーターを降りてすぐのところから乗るのだ。そのことを告げてホームに向かい、ホーム上で電車を待つというのが、長い間のオレの普通の日常だった。
 しかし、この日は駅員が変わったことを言ってきたのだ。「これからはホームに降りる時は駅員が付き添いますので、駅員が行くまでそこで待っていて下さい。」と。???どういうこと?昨日までいわゆる普通に一人でエレベーターを使い、ホームに降り、そしてそこで電車を待っていたのにだ。障害のない人と変わりのない電車の待ち方をしていたのだ。何があったのか?なぜに一人でホームに降りて電車を待つという行為をしてはいけないのか?という疑問が頭に浮かんできた。
 この後、色々とやり取りがあったが、つまりはこういうことだった。
 車イスに乗った障害者が一人でホームで乗る予定の電車を待っていた。その電車に乗る時は駅員がスロープを持ってきて降りる駅にも連絡済みでという一連の流れで行く予定だったはずが、一番後ろを指定されていたので一人で待っていると、駅員との間で乗る予定の電車よりも1本早い電車が来て、その電車の車掌がその人に乗るか?と声をかけ、その人も乗ってしまったという。そして、その人の乗る予定の電車が着く時間が近づいて、駅員がスロープを持ってホームの後ろのほうに行くと待っているはずの車イスに乗ったお客さんがいないので、慌ててホームから落ちてないかとか、要するに心配して探したということだ。だから、車イスに乗った障害者は「危ないから一人でホームに待たせておけない」という結論を大津駅の駅長が出し、指令が大津駅の管轄の駅に出されたという訳だ。
 この一連の出来事の中で、なぜこの結論に至ったのか?それが問題だと思う。
 では、ホームから転落する可能性が高い酔っ払いや視覚障害者や歩きながらスマホをしている人たちはどうなのか?
 文字数の関係で次に続くことにする。