気が付けば3月

前回は11月7日に書いている。今日でもうほぼ4か月も過ぎている。

もっとマメに更新しようと思う。

 で、去年の話になるが、11月20日彦根で湖東圏域のアドボケーターと行政を合わせての「情報交換会」があった。

 たまたまこの日に、JRの電車のダイヤがすごく乱れていた。

 「情報交換会」は午前の10:00からで、オレはいつもの7:53の電車で彦根駅まで行き、予定では1時間ほど早く着いてしまうので、どこかで時間をつぶそうといたのだが。

 定時に電車が来ず、遅れれば遅れるほど、特に通勤帯は多くの人ですし詰め状態になり、車椅子で乗るのがかなり困難になるのだ。けど、普通の電車を1つだけ諦め、駅員さんの機転で何とか乗せてもらえた。

 と、ここまでは順調だったが、これからだ。

 いつもは瀬田駅から南彦根駅までなので、両駅とも新快速が止まらないので、問題はなかったのだが、この日は彦根駅まで乗らなければならず、彦根駅は新快速が止まる駅なのだ。パターン的にいうと、多くの人で電車が満杯になるので、新快速の電車も普通に変更されて順番に行くと思っていたのだが、この日は違った。

 草津駅野洲駅近江八幡駅だったと思うが、オレの乗っている普通の電車がこれらの駅で止まって、新快速を待ち、「お急ぎの方は乗り換えてください」と、新快速の着く駅で降りる人に配慮して、オレの乗っている電車からも次々と新快速に乗り換えていった。

 その度に駅で止まって新快速の到着を待ち、また発車を待ち、抜かしていくのだが、オレも新快速に乗り換えたかったが、瀬田駅からこの電車で降りると彦根駅に連絡してもらっているので、駅員さんに悪いかなとそのまま普通に乗り続けていた。三駅で3回も待っては抜かされ、待っては抜かされしたのだ。

 おかげで彦根駅に着いたのは10時10分ほど前で、急いで会場まで行き、少し遅れてしまった。新快速に乗り換える人に配慮したつもりだろうが、車椅子に乗ったオレには何の配慮もなかった。

 一応、彦根駅の駅員には言っておいたが、緊急時だから障害者は二の次という言い訳はできるだけ、しないようにしてもらいたいものだ。

 

 

年末が近づいてきた

気が付けばもう11月に入っている。

ほんまに毎日やることが多く、さっさとやらなければ、次にやることがだんだんたまってしまう。

溜めずにさっさと片付けていきたい。

このところ、まちプロのほうでも講師のお仕事が多く入っていた。

今までは口だけを使って講師をしてきたが、映像とかを使ったほうがより分かりやすく、気分転換にもなると思い、そのほうにも力を入れていきたいと思っている。

いろいろと時代の変化を感じながら、それでも変わらない差別の現状を思いつつ、差別に対する気付きを促すため、叫びを上げ続けることが、オレの生きるということだなぁ~と思う。

そして10月1日から「障害者差別のない共生社会づくり条例」が完全施行され、オレは湖東圏域からアドボケーターに推薦され、なった。隠れた差別を見逃さないように、アンテナを巡らしていきたい。

すごく感動してしまった出来事

もう6月になったが、くしくも5月1日、くしくもと付けたのは世間では平成から令和へと元号が変わったところで騒いでいる時だったからだが、その日は朝から雨だった。

そのため瀬田駅までは傘をさして行った。そして西口のエレベーター前の屋根の下に着くと、いつものように通る人に声をかけた。「すみません!!傘畳んでもらえませんか~」っと。

2・3人通り過ぎた後に30前後のサラリーマンふうの男の人がオレの声を聞き、こっちに近づいて来て、傘を畳んでオレの頼んだ通りに車いすの左後ろにセットしてもらい、「ありがとうございます。」とこれまたいつものようにエスカレーターのほうへと立ち去って行った。

 ここまではいつものオレの雨の日の朝の風景なのだ。

 そして次の日なのだ。

5月2日も朝から同じく雨だった。

これまた同じく傘をさし、瀬田駅の西口のエレベーター前の屋根の下に着き、傘を畳んでもらおうと声をかけようと振り返った時のこと、昨日手を貸してもらった男性が駆けつけてくれたのだろう、そこに居て、「傘を畳んだらイイんですね」と向こうから声をかけて来てもらえたのだ。たまたまタイミングもバッチリだったのも驚きだが、まさか昨日声をかけて手伝ってもらった人が、今日はオレが誰かに声をかける前に、逆に声をかけてきてもらうなんて、思ってもいなかったことだった。

 こんな事初めてで、ホンマに感動してしまった。

 傘をさしながらの電動車椅子の操作は大変で、雨の日はイヤだが、ちょっとだけ楽しみができたかな~

車いす障害者の通勤について

 オレはいつもJRで瀬田駅から南彦根駅まで電車に乗って通勤している。

 この前、ある人が琵琶湖線から草津線に乗り換えて通勤したいとうことで、駅員に聞きに行くと、乗り換え時間が5分しかないので、走っている人もいやるので車いすでは危険だから、この乗り換えはできないと言われた。

 やっぱり無理かと思ったが、5分の乗り換え時間を設定していること自体が危険なのではないかと考え、公共交通機関として誰にとっても安全で余裕のあるダイヤで運行することが大切ではないかとJRに意見を出した。

 すると、丁寧な回答が返ってきた。

 が、しかしその中に「東海道線草津線の標準乗換時間の目安」を説明する文章があった。それによると、大きな荷物を持った客でも、『通常歩いて乗り換えができる』時間」だそうだ。つまり車いすに乗った歩けない客は想定されていないということになる。

初めに書いたようにオレは乗り換えなしの電車1本での通勤をしている。しかし、車いすに乗って通勤しているのだ。同じく車いすに乗って通勤しようとしている人がいるのに、乗り換え時間が短いからできないというのは、やはり同じ客としてJRを利用している者として納得がいかない。

 ちなみに草津線はほぼ1時間に1本のペースでしか運行しておらず、朝の7時半の少し前の乗り換えがその乗り換えなので、その人は6時50分頃の電車に最寄り駅から乗ることになるのだ。草津駅の駅員が「もう1本早い電車なら乗れる」と言っていたが、それだと6時半を少し回った頃の時間の電車に乗らなければならず、障害者にとっては、朝早く起きて支度をして駅まで出て行くことは当然、障害のない人よりも時間がかかる事なのだ。

 障害者差別解消法ができてもうすぐ3年目を迎えようとしているのに、車いすに乗った客は特別で、「乗り換えができなくて当たり前」的な態度には、差別感を覚える。

 JRには、この「標準乗換時間の目安」を歩ける客に合わせるのではなく、誰もが安全で、快適に利用できるように、見直してもらいたいと、またもや意見・要望としてホームページのメールで送っておいた。いろいろとJR側にもご都合があるだろうから、すぐにという無茶は言わないが、できるだけ早い対応をお願いしたいと思う。 

命について

 最近、命について、ある考えがまとまった。
 それは、命は個人個人のものではなく、社会全体のものであるということだ。
 人間は生まれてから歳を重ね、死ぬまでの間に、誰の助けもなく一人だけの力で一生を終える人はいない。
 人間は、生まれた時は誰もが寝たきりで、周りの人たちに育てられ、成長していく。
 また人間は一人では生きていけないから、集団を作って生きている。それが社会だ。
 その社会の中で人間は、またいろんな集団を作り、いろんな役割分担をしながら生きている。職業や役職や立場がそれに当たる。
 そう考えてみると、人間は一人では生きていけない弱い存在だということが明らかにわかるだろう。ここには障害のあるなしは一切関係がない。つまりは、人間は社会の中で生きている以上、お互いに支え合いながら、助け合いながら生きているということになる。
2年前の7月26日に相模原市で起こされたやまゆり園での殺傷事件についてのN氏の論文の中に「命は誰のものか」という問いかけがあったのだが、それをを読み、この気付きのきっかけになったのだが、他にもこの考えに至った理由がある。それはヘルパーさんに介助してもらっている時に、介助をしてもらいやすいように、身体を動かしたりとか向きを変えたりとか自分のできる範囲でやるのだが、その時にヘルパーさんが「ありがとうございます」とお礼を言われることが多々あるのだ。してもらっているのはこっちのほうなのにだ。
 そうすると、命とは、人と人が生きる営みをの中に有り、人と人とのつながりの中にあるのではないかと思う。

待つ・待たせる ということ

 スーパーやコンビニでお金を支払う時や銀行のATMでお金を扱う時は、人が多い時は、順番に並んで待つしかない。

 もう、大分前になるが、ふと気付いた瞬間があった。

 スーパーのレジにたくさんの人が並んでいて、オレはできるだけ待たずに早く順番が来るように、人の並びが少ないレジを選ぼうとしていた。
 その刹那、「あれ?なんでオレは急いでるんかなぁ?」「なんで待つのがイヤなんやろ〜か?」ってフと頭の中に浮かんだのだ!

 そして、「レジで待つのは当たり前やんか!」「待ってもええやんか!」って思いが次の刹那に浮かんだのだった。

 前述のことが起きてから、オレは並ぶのが苦で無くなった。
 さすがに急いでいる時は別だが。

と、ここまでは待つほうの側からのモノだったが、今度は待たせる側からの視点で書きたい。

  並んで待ってやっと自分の番が来て、レジで支払いを済ませる時や、ATMで現金を出し入れする時は、一機に待つほうから待たせるほうに立場が逆転する。
  特にオレら障害者は財布の出し入れとか現金の出し入れに、レジの人や銀行の人に手伝ってもらうにしても障害のない者と比べると時間がかかる。だから、待つのが当たり前やって気付くまでは、すごく気を遣って支払いや現金の出し入れが済むと、財布を片付けるのは後にし、その列の先頭をできるだけ早く離れ、それからゆっくりと財布をカバンに戻す作業をしていたものだった。ヘルパーさんと一緒にいる時もやはり同じようにできるだけ列の先頭を離れることを優先し、後で、ヘルパーさんに財布をカバンの中に戻してもらうようにしていた。

 けど、待つのが当たり前と思うようになってからは、それほど後に並んでいる人達に気を遣わなくなった。

 まあ、とは言ってもヘルパーさんが一緒の時は順番が来る前に財布をカバンから出してもらったりという当たり前の気の遣いかたはしているが。
 けど、オレらが後の人に気を遣うのは、できるだけ人の迷惑にならないように、という障害のない人への気遣いなのだが、ヘルパーさんが「後の人が待ってはるから財布の片付けは後にして、早うこっちに」と誘導するのは、こっちからは「如何にも迷惑な人がここにいる」と言うているようで、不快に感じるのだ。
 待つのも待たせるのもお互い様という、もっと時間に余裕を持った社会にしないと、障害者はノビノビと生きられないなあ〜と思う。
 障害があろうがなかろうが、皆、人は迷惑をかけ合いながら生きているのだという自覚を持ってもらいたい。

仲間が亡くなった!

 滋賀青い芝を一緒に築き上げ、30年程一緒に活動してきた仲間が2月13日の夕方にあの世へと帰って入った。
 まだ3日しか経っていないが、時が経つにつれ、寂しさが増して来る。
 昨日の葬儀の時に、その前日に通夜の帰り際に弔辞を読んでくれないかとそのお連れ合い(喪主でもある)から頼まれ、何を言葉にするかと、その仲間との思い出を振り返り、ボヤッとながら、ああいうことも言おうこういうことも言おうと一応考え、前へと促され、マイクを握り、弔辞を語った。
 前に出た時、紙を置く台が用意されていたので、「弔辞を読む」という言葉を思い出し、書いて来るものなのか?と少し思ったが、マイクを握り亡くなった仲間の遺影に語りかけようと思い、喋りはじめた。
 すると、涙が出てきて、声を出して泣きそうになり、我慢するのに少しの間詰まってしまった。
 その後、ホンマの実感としての「心の中の柱が1本折れたような感覚だ」と言葉が出た。
 亡くなったのは、仲間といっても13歳上の先輩で結成当初から滋賀青い芝の会長を務めてきた人だ。
 ホンマに長い間お疲れ様でしたと言い、ゆっくり休んでくださいと言葉を結んだように思う。
 お棺に花を入れる時、ほっぺたに触れた。ホンマに冷たかった!
 今、「柱が折れた」どころか、穴が空いて、大きくなってきているような感じだ!
 後を頼むという声なき声が聞こえるように思う。