待つ・待たせる ということ

 スーパーやコンビニでお金を支払う時や銀行のATMでお金を扱う時は、人が多い時は、順番に並んで待つしかない。

 もう、大分前になるが、ふと気付いた瞬間があった。

 スーパーのレジにたくさんの人が並んでいて、オレはできるだけ待たずに早く順番が来るように、人の並びが少ないレジを選ぼうとしていた。
 その刹那、「あれ?なんでオレは急いでるんかなぁ?」「なんで待つのがイヤなんやろ〜か?」ってフと頭の中に浮かんだのだ!

 そして、「レジで待つのは当たり前やんか!」「待ってもええやんか!」って思いが次の刹那に浮かんだのだった。

 前述のことが起きてから、オレは並ぶのが苦で無くなった。
 さすがに急いでいる時は別だが。

と、ここまでは待つほうの側からのモノだったが、今度は待たせる側からの視点で書きたい。

  並んで待ってやっと自分の番が来て、レジで支払いを済ませる時や、ATMで現金を出し入れする時は、一機に待つほうから待たせるほうに立場が逆転する。
  特にオレら障害者は財布の出し入れとか現金の出し入れに、レジの人や銀行の人に手伝ってもらうにしても障害のない者と比べると時間がかかる。だから、待つのが当たり前やって気付くまでは、すごく気を遣って支払いや現金の出し入れが済むと、財布を片付けるのは後にし、その列の先頭をできるだけ早く離れ、それからゆっくりと財布をカバンに戻す作業をしていたものだった。ヘルパーさんと一緒にいる時もやはり同じようにできるだけ列の先頭を離れることを優先し、後で、ヘルパーさんに財布をカバンの中に戻してもらうようにしていた。

 けど、待つのが当たり前と思うようになってからは、それほど後に並んでいる人達に気を遣わなくなった。

 まあ、とは言ってもヘルパーさんが一緒の時は順番が来る前に財布をカバンから出してもらったりという当たり前の気の遣いかたはしているが。
 けど、オレらが後の人に気を遣うのは、できるだけ人の迷惑にならないように、という障害のない人への気遣いなのだが、ヘルパーさんが「後の人が待ってはるから財布の片付けは後にして、早うこっちに」と誘導するのは、こっちからは「如何にも迷惑な人がここにいる」と言うているようで、不快に感じるのだ。
 待つのも待たせるのもお互い様という、もっと時間に余裕を持った社会にしないと、障害者はノビノビと生きられないなあ〜と思う。
 障害があろうがなかろうが、皆、人は迷惑をかけ合いながら生きているのだという自覚を持ってもらいたい。