講師活動

7月に入って、たて続きに中学1年生を前にしてクラスに入って喋る形式の講演を2校で済ませた。
オレは若い時から講演をやってきているが、内容はほぼ同じでも、やはり、自分のその時々の考え方とか心境とか、打ち合わせの内容で少しづつ違うものができている。それが生で真剣に想いを伝える事につながると思い、その時々の講演内容を書いたものを作り、ずっと残してきている。大人から子供まですべてのものだ。これは何も持たずにしゃべったら、後で「あ、あれ言うの忘れてた」とかが無いように始めたのだが、最終的に何を言ってまとめるかという時々の思いがあるのだ。時によっては書いていたのとは違う言葉が浮かび、それでまとめる時もある。
そんな中、自分の身の上話を少し詳しく書いたものを見つけ、読んでいたら、オレは結構面白い人生を歩んでいるなぁ〜と根っから思い、本当の意味で開き直れたのかもしれない。

そんな事があったのだ。

また、ある小学校の時に話に行った学校から中学校に進んだら、またその中学校で会ったという子どもが何人か居たという経験をした事があるが、「何しゃべったか覚えてるか?」と聞いたら、何も覚えてないということだった。これで、内容よりも感覚や感性を伝える事なのかなと思った事もあった。子供の場合は特にそうなのかもしれない。

 また、「障害があって良かった」という言葉を使ったことがあったが、顔は辛そうだったと子どもから指摘されたこともあった。オレの顔が緊張でしかめっ面になっていたのかも知れないが、心の底からの言葉でなかったようにも思え、「子どもはナメてはいけない!」とつくづく思ったものだった。

また、楽しく笑いをとろうと考えて、何かを言ったのだが、スベってしまって、始めの段階だったので、気分も落ちてしまい、ぎこちない雰囲気に終わってしまった事もあった。それ以来、わざとウケ狙いをするのはやめにした。

何か思い出話になってしまったが、大人は社会で生きているが、子どもはこれからの大人として、大切に、真剣に自分の思いを語っていきたいし、そういう意味でもオレ等が喋りに行くのは社会変革の「種まき活動」といったところだと思っている。