「目的」について

 最近、目的を持って何かをすることで、その達成した満足感が、その世界の喜びに繋がるというようなモノの考え方が流行ってきているのではないかと感じてきた。

 そもそも生まれるときには目的を持って生まれてくる人はいない。もしも目的を持って生きている人がいるなら、それはその人が途中で見つけたものであると思う。
 オレもせっかく障害者として生まれたのだから、この健全者の作ってきた社会を、健全者だけしか生きられないような社会の構造を、障害者を人間として見てこなかった社会を、誰もが人間として当たり前に生きられる社会に変えていこうと思っているし、それがオレの生きる目的であると思う。

 けど、しかし、これはオレが勝手に見つけた生き方であり、目標であり、誰からも強制された訳でもないのだ。

 道ばたに花が咲いているように、ただ咲いているように、ただ生きているだけの人もいると思うし、それもいいと思う。

 今の障害福祉サービスの中でも目標設定が嫌でも設けられていることに違和感があった。ただ生活するだけなのに、そこに目標を設定させられるということ、そこに健全者社会のモロさをみることができたように思う。

 ただ生きているだけでは価値が無いとか、人の役にたたなければ生きていてはいけないとか、生きる条件のように「目的」が考えられているように感じている。

 「流行り」には気を付けたいと思う。