がんばの祝賀会に思う

2010.7.6

オレは思った。
表(前)に障害者が出ていなかった。
あえて言うならスライドショーのナレーターでUの声は流れたが。
障害者が障害者としての立場から、会場の前に立ち、その思いを伝えることはできなかったのか!

なぜそういう発想がとんでしまったのか?

創始者 門脇謙治は障害者だからこそ、障害者抜きで成り立っているこの社会に、この地域に、
問題を投げかけ、ここがんばを創ってきたのにもかかわらず。

前に立つ障害者の存在を、あの場だからこそ、議員や行政に見せつけたかったし、個人の感覚を変える意味でも。

障害者は健全者に「やらされる者」健全者は障害者に「やらせる者」といった一方的な見方。それを変えること、それが「共に」の大きな意義だと思う。

まちプロの演劇に障害者が出ないで、障害者のことが語られることは、現在は考えられないが、そういった観がぬぐえない。

オレは門脇治とは少し別の道を歩いてきた。

しかし、あの中にはつい3年前まで門脇さんといっしょに道を歩んできた仲間が多く居たはずだが。

寂しく思った。 

情けなく思った。

それから、今のまちプロに所属し、週に1回しか来られなくなったオレ自身の立場の無さを思う。

初っぱなからこんな事を書いてしまったが、いろんな意味で関係している貴方、いっしょに考えていきたい。

今日はこの辺で。