へ〜〜っと思うようなうれしい出来事

 この間、息子が滞納したアパートの家賃を振込にとある銀行に行った。
10万円を超えているのでATMではダメだと言われ、窓口対応となった。また書類に名前とか住所とか、振込先の口座名とか色々と記入しなければならない事になった。
 「また「自筆でなければならない」と言われるんだろうなぁ〜」と思っていると、そこの行員さんは「自分で書けますか?」と聞いてきたのだ。オレは「できれば書いてもらいたいんですが」と言うと、何と「分かりました。私が代筆させていただきます。」と耳を疑うような心地よい返事が返ってきたのだ。ホンマかいなと言いたくなるような対応にうれしさを覚えながら、オレが答えながらの行員さんの記入作業に移っていった。
 その行員さんを、多分上司のような人がそばで確認のために立っていて、「書けたら私が読み上げますので、間違いないか確認お願いします。」と言ってその作業を見守っていたのだが。
 その確認作業も全て終わり、(現金がたくさん出ていったのだが)銀行を出て行く時、「ありがとうございました!また何かありましたらお越しください。」みたいな普通の対応にホンマうれしい思いで、「お手間取らせました。」と礼を言い、銀行を後にした。
 久々に以前の介護の学生に銀行の書類を書いてもらっていた頃の感覚を思い出すと同時に、以前とある金融機関で「自筆でないとダメ対応」の苦い経験を思い出し、「やったらできるんやんけ!」「何の問題もないやんけ!」と思ったのだった。
 これは、4月から施行される「障害者差別解消法」の影響だろうか?と考える。合理的配慮の典型的なものだなぁ〜とあの自然な対応に喜びを感じつつ、他の金融機関も試したくなる思いにかられたのだった。

頭はやわらかく

 「この世に決まったことは無い」というか、「これはこうでなければいけない」と思い込んでいることが多いと思う。つまり難しい言葉で言うと、人は固定観念を持ってしまうものであるということ。
 前置きはここまでにして。
 日常生活の中で、オレの体を動かしてもらう時、なるべく負担の少ないやり方でやってもらおうと思っている。
 例えば起き上がる時、今までは仰向きの状態から起こしてもらっていたが、ある時、あるヘルパーさんがちょっと変わった起こし方をしてくれた。「あぁ〜!これは起こしてもらい易い!」と思った。他のヘルパーさんにもやってもらおうと思ったとき、「そうだ!横向きから起こしてもらったら起こしてもらい易いぞ!」と思った。これは個人的な“小さな発見”なのだ!
 オレらの子どもの頃は例えば「冷蔵庫は白いもの」という常識があった。白い冷蔵庫しか見たことがなかったからだ。こういうことはよくあると思う。
 だから2本足で歩ける人間が正しい人間の形だというのも障害者が身近に居なければ当たり前の思い込みだと思う。
 ちなみに、オレが横を向いて起こしてもらうのも、ヘルパーさんによって、前から起こす人、後から起こす人、はたまた跨いで起こしてくれる人それぞれだ。同じ事をやってもらうときも、人それぞれだということは、人それぞれの違い性を認めるということであり、それが人間であるということであり、頭は常にやわらかくしておきたいということだ!

湖西線の・・・トラブル つづき

 オレは毎日、週に5日はJRの電車を使い通勤している。朝は混んでいるので一番後ろの車両の真ん中のドアのところから乗っている。前は駅員の手伝いなく、勝手に乗っていたのだが、近頃は腰痛の関係で、着駅が段差が少しあるため、板を用意してもらうことにしたら、乗る駅も板を用意してくれるようになった。
 ちなみに帰りはホームと車両の段差も少ないため、勝手に乗って勝手に降りて普通に電車で帰っている。
 この日常では、改札を通るときに駅員にいつものところでと声をかけるだけで、普通に勝手にエレベーターを使いホームに下り、当然ホームの端(階段の脇)も通って乗車位置まで行っている。これは2本足で歩いている他の乗客と変わらないと思うが。
 この前はこの当たり前の事を、駅員から「危ない」と言われたのだ。「駅員と同行でないとホームには下りるな」と行動規制をかけてきたのだ。そして乗車拒否にと至った訳だ。
 同じ大津市内の駅でこうも違う対応をされるのはなぜなのか、JR側に車イスの乗客に対するマニュアルのようなものがあるのかないのか?なども気になって、その後の日にJRの苦情担当の窓口に電話をしてみた。すると後でJRから返答の電話があったのだが、なんと当の駅員だったのだ。ほんとにケガのことも気がかりだったので、そのお詫びを言いつつもマニュアルのことを聞くと無いという回答だった。
 ではあの対応は何だったのか、その駅の責任者の個人的な障害者観で変わってくるということなのか、余計に訳が分からないようになった。
 やっぱり、JR側と話し合わなければならないだろう!

湖西線のJRの駅でのトラブル

 もう1ヶ月以上過ぎてしまったが、あまり使わない大津市内の湖西線のJRの駅から電車に乗ってホームステイションまで帰ろうとした時の出来事だ。
 切符を買って改札を抜けるまでは良かったのだが、そこから先が・・・。
 普通にホームまでエレベーターで降りようとエレベーターに向かって行く途中、後ろから「そこで待つように」という駅員からの指示があったことが分かり、何でやねん!?というと「危ないからだ」という答えが返ってきたようだ。
 実はあと2人車イスで電車に乗るツレがいたのだ。オレはそんなことを言われたら、その真逆の行動にでるタイプ。そのまま普通にエレベーターでホームに下りたのだった。そして、あとからもう一人のツレもエレベーターで下りてきたのだが、駅員も後ろから追いかけてきたのだ。そして、階段の出入り口のところにさしかかったところで、「そっち側は通らないように!」危ないから止まるようにまた指示を出してくるのだ。階段の付近はホームの真ん中は通れないので、少し狭くなった端っこを通ることになるのだ。これまたオレは真逆の行動に出たのだった。つまり少し狭いホームの端のほうを通ってここら辺りで乗ろうかなと乗車位置を決め、止まって電車の来るのを待つことになるのだが。
 ここまでのオレの行動は、駅員の指示はともかく、オレの、エレベーターの付いている駅での、普通の行動なのだ。そして電車が来て、その電車が乗れそうであれば、駅員の手を借りずともその車両に乗っていくのだ。ただし、その電車が一昔前のタイプで、ホームと電車の段差があり過ぎたり、すき間が空き過ぎたりしていれば、乗れないし、駅員に声をかけ、お手伝いをしていただくことになるのだ。「お手伝い」というのは電車とホームの間に板をかけてもらうということだが。
 だがだがだがあだがだ!!!
 駅員が追いつき、「次の電車ではなく、その次の電車に乗ってください。」しかも「乗る位置は一番後ろの車両の、一番後ろのドアから」と指定してきたのだ。
 これまでの不自然な駅員の指示にイラっときていたが、なんで?と後の後に乗せようとする理由を聞いてみた。すると、オレが言った「車掌の目があるので安全なのだろう」という理由ではなく、「迎える駅の連絡にミスがないように」というもっともらしい理由を言ってきたが、その内に電車が来るアナウンスが流れたので、「この位置から次に来る電車に乗れるようなら乗る」「オレはほとんど毎日電車に乗っているから、慣れているから大丈夫だから」と言って、駅員を納得さそうと話していたのだが、電車がホームに流れ込んで来たのだ。(当たり前だが、時間が来ただけ)そしてオレがその電車に乗ろうと前に出ようと思い、電くるを前に出そうとしたら、なんとその駅員はオレの前に立ちふさがり、実力行使で乗せないようにしてきたのだ!!!実力行使には実力行使と(電くるの威力を知らないのかと思いながら)オレはゆっくりと電くるを前に操作していった。当然それを駅員が止められる訳がなく、諦めるかな〜と思ったが、意地でもどこうとはせず、オレも前に進む勢いを余計に強め、「危ないからどけ」とは言ったように思うが、駅員も「危ないから乗るな」と言っていたように思うが、電車の際まで行ったとき、当然段差が少しあるので、電車のステップと電くるのステップの間に駅員の足(すねの部分)が挟まり、それでもオレは前進を止めなかったので、駅員は電くるに押され、電車の戸口の向こう側にしりもちをつく状態で倒れ込んだのだ。そして、これも当たり前のことだが、すねが電くるのステップに強くすれてかなりの擦り傷を駅員がその場でズボンをたくし上げて見せ、オレはもう時間も少し経ってしまっているし、電車をこれ以上止める訳にはいかないと思うのと、駅員の行動は無謀だが、怪我をさせてしまった後悔の念で、その電車に乗るのは諦めようと引き下がった。
 何も知らない第三者が見れば、車椅子に乗った障害者が無茶をしているようにしか見えなかったように思うが、これは駅員による明らかな乗車拒否なのだ。(予断だが、同じ日に偶然にも飛行機の障害者への搭乗拒否が国外で起きている)
 とにかくしかし、これは傷害事件として駅員から訴えられたら、オレは間違いなく犯罪者になっていたところだと思うし、何よりもその駅員に怪我を負わしてしまったという加害者としての責任を感じる。

 今回の出来事のどこに問題があるのか、JR側ととことん話し合わなければならないと思っている。

自筆でないと ???

 前はよく介助者と一緒に金融機関にいき、口座を作ったりお金を引き出したりする時の書類をその介助者に頼んで、書いてもらっていたものだった。
 けど、最近は一人で金融機関へ行くことが多くなり、普通に口座からお金を出したり、入れたりする時は、その金融機関の窓口で「ATMお願いします」と声をかけ、「ATMのご案内」と称して、そこの人に手伝ってもらうのだ。なぜ「ATMのお手伝い」と言わないのかは分からないが。
 しかし、口座を作ったり定期の解約をしたりの手続きは書類を書くことが必要になってくるのだが、その書類は代筆してもらえないのだ。
 かろうじてオレは文字をその書類に書くことはできるが、めっちゃ時間もかかるし、書く文字が大きいので欄に収まらず、大きくはみ出したり、読めるか読めないか分からないような文字になってしまったりもするのだ。まあ、その間、その金融機関のおねえさんとかに紙が動かないように押さえてもらっているので、介助のいらない人よりはいくらか心理的距離はちじまるのだが。だがだがだがだ、なんでこないな苦労をしなければならないのか!ましてや文字の書けない状態の人はどうするのか?
 なんで代筆してもらえないのか?介助者がいたら介助者なら代筆オーケーなのか?疑問は多々ある。
 金融機関の代表団体と話合わなければならないなぁ〜と思う。

とある駅での出来事

 滋賀県内のびわこ線の駅にはほとんどエレベーターが設置されてきている。
 今、膳所駅篠原駅稲枝駅が建替えに伴い、エレベーターも設置されることだろうと思うが、工事の最中だ。
 が、まだエレベーターの設置が普及していなかった時代に(10年から15年程前かな?)変形型のエスカレーターを設置した駅が2駅あったのだ。
 この「変形型エスカレーター」とは、人が操作することで階段状の形状が3段だけ平らになり、車椅子も水平のままそのエスカレーターに乗り込み上がり下りできるという特殊なエスカレーターなのだ。
 ちなみに、このエスカレーターは全国的にちょこちょこ設置されている駅はあるが、事故が何件か起きている危険なモノだということが分かってきている。上から下に下りる時にそれに乗り込んで下りる操作を行ったら、平らだった部分が階段状に戻り、車イスに乗っていた人は、重たい電動車イスごと落ちてしまい、重症を負ったと聞く。おまけにその鉄道会社とエスカレーターの製造メーカーは原因究明もしないままだという。
 オレは幸いそんな目には遭っていないが、乗らなければならない時は怖さはある。
 まあ、それはともかく、昨日そのエスカレーターしかない駅(つまりそのエスカレーターがあるがゆえに、エレベーターは設置されていない駅)に降りなければならなくなり、その駅で電車を降りたのだ。
 そして、偶然降りた場所がそのエスカレーターの乗り込むところに近く、今は駅員が操作することになっているそのエスカレーターにすぐに乗り込めると思っていた。
 ところが、駅員は一向に操作するために動こうとはしないのだ。
 ちょっと急いでいたこともあり、遅いなあと思いながら、他の2歩足で歩く人たちがそのエスカレーターに先に先に乗って行くのを見ていたが、まだ駅員は動こうとはしない。
 2分から3分待って、他の客がほぼホームからはけた頃、「まだか?」と後ろにいた駅員に聞いたのだ。すると、「あのお客さんが、エスカレーターを降り切ってからです。」という答えが返ってきた。
 そうなのだ。同じ電車から降りた人が全員ホームから居なくなり、そのエスカレーターを降り切るまで待たされたのだ。そして、やっと操作を開始して、段が平らになった面が出てきた時に、これもやっと「お待たせしました」と一言だけ言ってきたのだ。その一言で怒りは収めることにした。それはその駅員が若かったことと、少し急いでいたこともあったが。
 しかし、こんなバカなことはない。都会ならもっと電車の本数も多く、人も多いので、こんなことをしていたらいつまでたっても乗り込めないし、第一、「障害者は後回し」「健全者優先」「障害者は待たして当然」という意識が、「障害者は迷惑な者」だという意識が、この駅員には作られていると思った。
 ちなみに、都会ではそのエスカレーターに車イスが乗り込む時は、その乗り込み口と降りるほうに簡単な柵をつくり、2本足が入れないように通行止めをして段差を平らにする操作をし、平らな面が出てくるまでの待ち時間はあるが、2本足はその間、階段を使って上り下りしてくれるように駅員がしてくれ、最低限の待ち時間で乗り込めるようになっている。
 で、帰りにまたそのエスカレーターを使い、ホームに降りなければならず、電車を降りた時とは違う駅員が対応してくれたが、歳もそれほど若くは見えなかったので、一応「苦情」という形で上記のようなことを言っておいた。
 私に起きたことは、私だけの問題ではなく、車イスに乗ってその駅を使う全ての人たちの問題であり、障害のない人たちも障害者をそのように思ってしまう、障害のない人たちの問題でもあるのだということを若い人たちには分かってほしいなぁ〜と心から願う。

年が明けましたね!ということで最近の出来事

 年末12月に入ってすぐ、アパートの立ち退きの話が振って沸いてきたのだ。
 更新月が11月で更新の「こ」の字っも言うて来なかったので、「さては」とは推測していたのだが。けど、春に管理会社が変わったこともあり、忘れられているのかもとも思っていた。
 この立ち退きの話は、家賃を滞納した訳でもなく、隣近所の要請でもない。アパートが古いため、耐震工事をするとすごく金がかかるためという、これまた推測通りのものだった。実はオレも気がかりだったことなのだ。
 ついに来たかと思った。
 20年近く住んだアパートを離れ、引っ越すのはかなりのエネルギーがいる。
 で、今、かなり久々にねぐら探しをしているところなのだ。
 20年前とは連れ合いも含め、体の状態も大分変わり、それに合うねぐらを探さねばならない。やはり一発では決まらなかった。
 もう命尽きるまで暮らすねぐらをと思う。
 未だに大家がちょっとした改修も駄目だというアパートもあった。
 また明日、不動産屋さんと一緒にアパートめぐりをする予定だ。
 いい所があればいいが・・・。
 さすがに初めての自立生活のときのように、不動産屋の窓口で断られることはこの地域では無くなったが。
 ここでの障害者の歴史を感じる。